原発を犠牲システムとしてとらえる視点

高橋哲哉『犠牲のシステム福島・沖縄』(集英社新書、2012)

目次

はじめに

第一部 福島

 第一章 原発という犠牲システム

   虚をつかれた/福島の出身者として/首都圏の人間として/いかに語るか

  「原発という犠牲のシステム」(『週刊朝日 緊急増刊 朝日ジャーナル』)

 第二章 犠牲のシステムとしての原発、再論

  「犠牲のシステム」とは何か/第一の犠牲ーー過酷事故/

  放射線被曝の不安/地元産業への被害/

  福島県民への差別「放射能がうつる」/

  「福島県民はどこに捨てるの」/

  歴史的な差別意識の名残「東北土人」/

  自然環境の汚染/想定外ではなかった大事故/

  第二の犠牲ーー被曝労働者/恒常的に組み込まれた被曝労働/

  二重の被害/第三の犠牲ーーウラン採掘に伴う問題/

  第四の犠牲ーー放射性廃棄物をどうするか/

  「核のゴミ」を海外に押し付ける/3・11以後の日本の課題/

  植民地主義日米安保体制と「海に浮かぶ原発」/

  原発から「核の軍事利用」へ/原発は「核の潜在的抑止力」

第三章 原発事故と震災の思想論

 一 原発事故の責任を考える

  「なぜ、こんなことになってしまったのか」/

  第一義的な責任は「原子力ムラ」にある/政治家・官僚の責任/

  学者・専門家の責任/迷走した安全基準/山下発言の何が問題か/

  河上肇「日本独特の国家主義」/市民の責任/

  無関心だったことへの責任/地元住民の責任/政治的な責任

 二 この震災は天罰かーーー震災をめぐる思想的な問題

  石原都知事の天罰発言/震災は天の恵み?/

  宗教者の発言ーーカトリック/宗教者の発言ーープロテスタント

  知識人の発言/内村鑑三の論/堕落した都市・東京/

  犠牲の論理の典型/国民全体の罪を負わされた死/

  「非戦主義者の戦死」/死を意味付けることの問題/

  天罰論と天恵論の決定的不可能性/原発は天罰か、天恵か/

  天罰論が天恵論になるのはなぜか/なぜ、この震災が天罰なのか/

  震災にこじつけない/「日本」イデオロギーの表出/ 

  危機だからファシズム

第二部 沖縄

 第四章「植民地」としての沖縄

  普天間基地移設問題とは/政権交代で見えてきた戦後日本の犠牲/

  沖縄は日本の捨て石にされた/天皇メッセージ/戦後沖縄の運命/

  沖縄の犠牲なしに戦後日本は成り立たなかった/

  〇・六%N土地に七四%の負担/

  無意識の植民地主義/可視化された犠牲のシステム/

  可視化されたこその「感謝」表明/

  沖縄は眠ってなどいなかった

 第五章 沖縄に照射される福島

  「植民地」としての福島/沖縄と福島ーーその相違点と類似点/

  交付金補助金による利益誘導/本当に地域の役に立っているのか/

  見えない前提ーー地域格差植民地主義を正当化する神話

  もう一つの神話ーー民主主義/国民投票の危うさ/

  犠牲となるのはだれか/だれが犠牲を決定するのか/

  犠牲なき社会は可能か

あとがき

主な参考文献

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福島第一原発の現状

 すでに東京電力ホールディングス側からの廃炉作業についての報告サイトがありますが、事故を起こした当事者からの報告だけではなく、事故の影響を直接に受けている人たち、さらには福島第一原発の現状に関心を持つ国内外すべての人たちの目線を考慮に入れた情報サイトも絶対に必要だと思います。正確な情報を幅広く共有する上で、さまざまな分野の多くの人々の力を結集しより分かりやすくアクセスしやすい情報の共有地のようなサイトが作れないものかと思っています。

www.huffingtonpost.jp

 たとえば 次の記事では東電だけの情報発信では不十分なのだという問題意識が共有されています。

www.buzzfeed.com

ちなみに開沼博氏はこのなかで次のように述べています。

 「震災原発事故以降、原発内がどうなっているか独立して調べるプロジェクトがなかった。原発が安全か危険かという二項対立がエスカレートするだけで、廃炉の現場をどうなっているのかを可視化してこなかった。社会の側から見えていない核心部分を可視化しないと、廃炉に関する議論そのものが成立しなくなる。一般の人に何を調査してもらいたいのか意見をもらったり、調査費用などを支えてもらう『民間』として中立性を大事にしたい。自分たちが専門家と非専門家の間に立って、国や大企業に頼らず、調査を続けていく必要がある」

まずは廃炉の現場と現状を知ること、そこから議論が始まるという意見には私も同意します。